Marv3
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Chap. 1-2: Byte The Bullet / Southgang Era
Byte The Bullet
同じ高校に通っていたBUTCH、JAYCE、SLUG、JESSE HARTEは10代後半〜20歳くらいまでの間にBYTE THE BULLETというバンドで活動を始める。(JESSEがリードヴォーカル。)当初は未成年だったにも関わらず、毎晩地元のクラブでライヴを重ねて演奏に磨きをかけていた。

1990年頃に4人でLAに移住。狭いアパートで共同生活をしながら昼間はバイト・夜はライヴの毎日を送る。

そして1991年にはSOUTHGANG(以下SG) というバンド名でcharisma RECORDS AMERICAよりデビュー作 "TAINTED ANGEL "を発表する。ちなみにこのアルバムのEXECUTIVE PRODUCERはあのDESMOND CHILDで、音的には一般的なLAメタル風。収録曲のうちの一曲にはWARRENTのERIC TURNERが参加している。

当時は日本でもtvの音楽番組でPVが流れたり雑誌にインタビューが載るなど結構話題になった。しかし、JESSEが扁桃腺摘出の手術を受けることになり、ツアーは中断してしまう。この後にバンドはLAを引き払ってジョージア州に戻っている。

1993年には2ndアルバム"GROUP THERAPY"を発表。このアルバムのリリースに伴って約1ヶ月間の中国ツアーを行ったものの、ライヴ中のアクシデントにより一切合財を失って帰国を余儀なくされる。アルバムの売れ行きも思わしくなく、その頃吹き荒れていたグランジ・オルタナの嵐の勢いに押されて形勢不利となったHR/HMバンドの例に漏れず、SGも契約打ち切りの憂き目に遭う。
Southgang
Chap. 3-4: Floyd's Funk Revival-Floyds / The Birth of Marvelous3
Floyd's Funk Revival
レコード契約を失ったSGは解散。そしてJESSEはバンドから抜ける。他の3人は「人を楽しませる事をするのに疲れてしまった」というBUTCHを中心に "FLOYD'S FUNK REVIVAL"というバンドを組み、何故かファンク系の音楽を始める。(その前にWEEDSを初め、いくつかのバンドもやっていたらしい。)

メンバーは、BUTCH、JAYCEとSLUGにCHRYSTINA LLOREE(VOCALS + PURCUSSIONS)とBRADFORD ROGERS(KEYBOARDS + BACKUP VOCALS)を加えた5人で、このバンドでALLIANCE RECORDSより 1996年に1stアルバムとなる"CREAMY"を発表。ところが、後にこのバンド名は既に使われていることが判明したために "FLOYDS"と改名。

続く1997年にはBRADFORDが抜けて4人となったバンドで2ndアルバム"THE FLOYDS"をDEEP SOUTH RECORDSより発表したものの、 BUTCH曰く「年間250回のショーをこなす生活を5年間も続けて疲れ果てていた。休みが必要だったんだ。」というわけでバンドはここで解散(もしくは休止?)する。

そうは言っても、やはり休んでなどいられないBUTCH。「ただじっと家にいることなんて出来なかった」ので自分のサイドプロジェクトのためにスタジオに入る。そしてレコーディングに参加して、その音を気に入ったJAYCEとSLUGも「俺達も一緒にやりたい」ということでMARVELOUS3が誕生。

(ちなみにCHRYSTINAはJAYCEの奥様であり、現在はHOLDEN君というとっても可愛い坊やのママでもある。M3のアルバムにもバックボーカルで参加している。)

M3は同年の1997年に早くも1stアルバム "MATH AND OTHER PROBLEMS"を出して精力的にツアーを行う。「きっと皆に嫌われるだろう」と思っていたにもかかわらず、彼らの音楽とライブは大好評を博し、 M3は同年に地元ATLANTAのLOCAL MUSIC AWARDSで4部門に輝く。
Marvelous3
Chap. 5-1: The Rise of Marvelous3
Marvelous3
しかしイマイチ大きな反応(レコード・ディール?)を得る事が出来ない事に不満を感じ、翌年1998年の10月に自分たちのレーベルであるMARVELOUS RECORDSより"HEY!ALBUM"を自費製作で発表。 これが地元ATLANTAのラジオ局99Xの番組ディレクターの耳にとまり、ラジオでヘヴィーローテーションとなる。そのおかげで多くの契約オファーが舞い込み、その中からELEKTRAを選んだM3は同年の冬に鳴り物入りで念願のメジャー契約を結ぶ。

1999年1月には再録した"HEY!ALBUM"をELEKTRAよりリリース(日本では4月にEAST WEST JAPANより発売)。第一弾シングルの"FREAK OF THE WEEK"はビルボード・モダンロックチャートでトップ10入りを果たし、 秋には地元ATLANTAのロックフェスティバル"BIG DAY OUT"のトリを務めるなど1999年はM3飛躍の年となった。
Chap. 5-2: The Finale of Marvelous3
Marvelous3
99年の10月で長期に渡ったツアーを終了し、バンドは新譜のレコーディングに入る。2000年の春先には全てのレコーディング作業は終了していたものの、アルバムのリリースは当初の予定より大幅にズレ込み同年の秋になることに。その発売に先駆けてプレリリースツアーに出たものの、5/6のショーでBUTCHがアキレス腱を切るというアクシデントに見舞われ、その後の予定は全てキャンセルに。

9月12日(日本では27日)に3作目となる"READYSEXGO"をリリースしたバンドは、"SUGARBUZZ"を第1弾(ラジオ局向け)シングルとし、SR-71等と"TOO MUCH ROCK FOR ONE BAND"ツアーに出る。 ハードなツアー日程をこなしつつアルバムのプロモーションに励んだものの、レコード会社のサポートにも恵まれずアルバムの売れ行きは伸び悩む(同年11月30日の時点では全米で約20,000枚)。

11月中旬で"READYSEXGO"に伴うツアーを実質上終了したバンドは、メンバーの言うところの『お休み』に入る。明けて2001年に入っても、1月26日の地元でのライヴ(MARVELOUS3としては最大規模のソールドアウト公演だった)を行った他には特に音沙汰も無く、ファンの間からも不安の声が上がり始める。

そんな中、3月9日に突然ELEKTRAからの離籍がファン経由で伝えられる。23日にはオフィシャルサイトにBUTCHのメッセージがアップされ、 今後しばらくはMARVELOUS3としての活動を休止することが明らかにされた。

5月にはMUSIC MIDTOWNでのヘッドライン出演も含む3回のショーを3ヶ月ぶりに行い、この時は『解散は無い』と解散説を否定。しかし、7月14日に再度オフィシャルサイトに再度BUTCHのステートメントが掲載され、8月3日のライヴを最後に事実上解散することを宣言する。 解散の主な理由としては、JAYCEがCHRYSTINAの活動をサポートしたいと望んでいる事等が挙げられた。親友でもあるJAYCEの後任を他のメンバーで埋める事は出来ない、ということからの決断だった。 NOT BEING ABOUT ARTと題されたこのメッセージからは、これ以上自分達のアート(音楽)を業界のオモチャにされたくない』という気持ちも伝わってくる。 音楽は楽しんでやるものだ、という彼らの原点に戻るための解散だったとも言えるのかもしれない。

バンドの解散後、BUTCHは自らのソロアルバム作製や他アーティストのプロデュース等を予定しており、JAYCEはCHRYSと一緒に活動、SLUGも彼らと共に活動するものと思われる。
Marvelous3 at Music Midtown
Chap.6 Coming Soon.......